スティーブン・ピンカー
Sense of Style から:
p.84 に掲載したリストに「接続詞」のような伝統的範疇が入っていないのには理由がある.伝統文法では,接続詞には2つの下位範疇があって,「等位接続詞」(and や or など)と「従位接続詞」(that や if など)とに大きく分けられる.ところが,実は等位接続詞と従位接続詞にはなんの共通点もないし,両方を含む「接続詞」という範疇もないのだ.ついでに言えば,伝統的に従位接続詞と呼ばれてきた単語の多く,たとえば before や after は,実のところ前置詞だったりする [n.7].たとえば,after the love has gone(愛が失せたあと)の afterは,誰が見ても文句なしに前置詞の after the dance(ダンスのあと)の after と変わらない.たんに,伝統文法家たちが機能と範疇を区別しそこなって,前置詞が目的語に名詞句だけでなく節もとれる点が見えなくなっていただけだ.
原文:
There is a reason why the list on page 84, for example, doesn't have the traditional category called "conjunction," with the subtypes "coordinating conjunction" (words like /and/ and /or/) and "subordinating conjunction" (words like /that/ and /if/). It turns out that coordinators and subordinators have nothing in common, and there is no category called "conjunction" that includes them both. For that matter, many of the words that were traditionally called subordinating conjunctions, like /before/ and /after/, are actually prepositions. The /after/ in /after the love has gone/, for example, is just the /after/ which appears in /after the dance/, which everyone agrees is a preposition. It was just a failure of the traditional grammarians to dinstinguish categories from functions that blinded them to the realization that a preposition could take a clause, not just a noun phrase, as its object.
脚註 7 で参照されているのはハドルストンとプラムの英文法書:
全ての前置詞が節を目的語に取れるということでしょうか。前置詞には節も目的語に取れるものとそうでないものがあるということでしょうか。
返信削除明らかに定形節をとれない前置詞 (e.g. 'in') がありますから,ピンカーの記述からすれば,「前置詞には節をとれるものとそうでないものがある」ということになりますね.その点では,接続詞にまつわるおさまりのわるい不規則性を前置詞の記述に移しただけではないか,という難点があると思います.
返信削除御返信ありがとうございます。
削除やはりそうですよねえ。ピンカーの言う節が定形節に限らないとしても、結局定形節を取れるものとそうでないものがあることになりますよね。
確かに従位接続詞と等位接続詞には統語上の共通点はないですが、だからと言って従位接続詞を前置詞にするのは話しが違う気がします。
従位接続詞の全てが前置詞用法を持つわけではないし、副詞節を導くものに限っても、全てが前置詞用法を持つわけではない。なんでこんなこと書いたんでしょうね。