2016年10月29日土曜日

ミラー先生の『消費』のサンプル訳をつくってみよう (5)

つづき:
我らがご先祖さまたちの目をとおしていまの生活を眺めてみると,この「文明」と呼ばれるもの(今日では消費資本主義に同義)を発展させることでぼくらが失ったものと得たものをはっきりと見渡せる.また,ぼくらの生活で本当に自然なものと,歴史の偶然でそうなっているもの, 文化でたまたまそうなっているもの,政治的に抑圧されているものをもっとうまく区別できるようにもなる. 
どの文化で人類が営んでいるものであろうと,消費資本主義はヒトの進化が技術的洗練のどこかの段階で避けがたく自然に迎える結果ではない. 
消費主義を進化心理学で分析するのは,なにも,消費主義に科学の認証シールを貼ろうという話ではないし,生物文化の進歩が到達しうる最高水準として消費主義を道徳的に正当化しようというのでもない.これまでに,そうやって消費主義を「自然化」しようと試みた思想家はたくさんいた.たとえば社会ダーウィニズム主義者の大半はそうだったし,オーストリア学派の経済学者(ルードヴィヒ・フォン・ミーゼス,フリードリヒ・ハイエク,マレー・ロスバード),シカゴ学派の経済学者(ジョージ・スティグラー,ミルトン・フリードマン,経営のグルやマーケターたち)もそうだ.彼らのモデルはこんな具合は(ぼくはこれを「間違った保守モデル」(Wrong Conservative Model) と呼ぶ.というのも,ぼくの考えではこのモデルは間違いだし,政治的な保守によって唱道されているからだ): 
人間本性 + 自由市場 = 消費資本主義 
こんな風に消費主義を「自然化」する試みに反対して,他の人たちはそもそも「人間本性」の概念だとか生物学と経済学のつながりをなにもかも却下してきた.こうした生物学懐疑論者にはどんな人たちがいるかっていうと,たとえば,マルクス主義者,アナーキスト,ヒッピー,ユートピア主義者,ニューエイジ系の感傷主義者,文化人類学者,社会学者,ポストモダニスト,反グローバル化運動家の大半がいる.さしあたりは,こう言っておいてさしつかえない――こうした急進主義者たちは,「間違った急進主義モデル」(Wrong Radical Model) を提案している.このモデルによれば,基本的にこういう話になる: 
空白の石版[ブランクスレート] + 抑圧的な制度 + しゃらくさい各種イデオロギー = 消費資本主義
ここでいう「空白の石版[ブランクスレート]とは,ヒトの赤ちゃんがもつ大きな脳のことで,進化による本能や好みや適応などはなにも備えていないにも関わらずなんでも学習できるとされる.(スティーブン・ピンカーは著書の『空白の石版』(The Blank Stale) で,脳がそういうことをできる可能性を痛烈に批判した.) また,「抑圧的な制度」は,通例,政府や企業や学校やメディアとされる.こういう制度がなんらかの支配階級の利害をかならず代表しているのだとこのモデルは考える.「しゃらくさい各種イデオロギー」は,たとえば宗教,父権制,体制順応主義,エリート主義,自民族中心主義,主流派経済学などが該当すると想定されている.また,「間違った急進主義モデル」では,ダーウィン主義はヴィクトリア朝時代の資本主義( 植民地主義や性差別や人種差別も含めて)正当化するものとして考案されたと想定している──そして,ダーウィン主義が問題の一部であるとすれば,解決策の一部になるはずもない,と考えられている.

* Blank Slate の邦訳タイトルは『人間の本性を考える』だけど,ここでは原書タイトルそのままの訳をあてておく.

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