2021年3月20日土曜日

クルーグマン「ワクチン:実にヨーロッパらしい災厄」(2021年3月18日)

EUでのワクチン接種が他の先進国に比べて大きく遅れている事情をクルーグマンがコラムで取り上げている.(『経済学101』に訳したアレックス・タバロックの記事も同様の点をいくぶん詳しく批判している.)

以下,ちょっと面白かったポイントの抜粋:

Reading the tale of Europe’s sluggish vaccine efforts, I was reminded of H.L. Mencken’s definition of Puritanism as “the haunting fear that someone, somewhere, may be happy.” Eurocrats seem similarly haunted by the fear that someone, somewhere — whether it be pharmaceutical companies or Greek public-sector employees — might be getting away with something.

During the euro crisis this attitude led to the imposition of harsh, destructive austerity policies on debtor nations, lest they somehow fail to pay a sufficient price for past fiscal irresponsibility. This time it meant focusing on driving a hard bargain with drug companies, even at the cost of a possibly deadly delay, lest there be any hint of profiteering.

ヨーロッパでワクチン接種が遅れている話を読んでいて,かつて H.L.メンケンがピューリタニズムをこう定義していたのを思い出した――「どこかで誰かがしあわせになるかもしれないという執拗な恐れ.」 EUの官僚たちは,同じように恐れにとりつかれているように思える.どこかで誰かが――製薬企業であれ,ギリシャの公共部門の被雇用者であれ――まんまと逃げおおせるかもしれない,という恐れに.

ユーロ危機のときには,この態度から発して,「過去の無責任財政に十分な対価を支払わずに逃げおおせたりしないように」と,手厳しく破壊的な緊縮政策が債務国に強制されるにいたった.今回は,この態度をとることで,不当に利益を得る気配をわずかであっても許さないようにと,人命を犠牲にする可能性があってもワクチン接種を遅らせるコストを払ってまで製薬企業を相手に強硬な交渉をすすめるのにこだわってしまっている.

さらに他の問題点として,次の2点を挙げている:

(1) 欧州共通政策を追求しなくてはいけないこと.合意形成をするあいだにワクチン契約に待ったがかかってしまう.

(2) 反科学感情が思いのほか広がりをもっている(とくにフランス).アメリカでは,反科学は宗教右派が最大勢力だけれど,欧州ではそれとちがった広がりを見せている.

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