2018年6月1日金曜日

スタンフォード哲学事典の「言語行為」を訳読しよう #25/おわり

前回はこちら.


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9. 言語行為と社会問題


見本のような発語内事象では,どの言語行為を遂行するかを(あるいはなにも遂行しないかを)話者は選択でき,聞き手の方ではその話者の意図を検知すべくできるかぎり善意をつくす.また,必要であればそこで喚起されている慣習がどれなのかも聞き手は検知しようとする.プラットは,日々の意思疎通がなされる実に多くの領域の事実にこの見本は合致しないと所見を述べている (Pratt 1986).

〔同等な〕交換というアイディアにもとづいて言語によるやりとりを説明しようとすれば,ごく基本的な事実を見過ごすことになる.すなわち,大雑把に言ってしまえば,より多く話す人がいる一方でより多く聞き手に回りがちな人がわかれていて,誰もの言葉が同じ重みをもっているわけでもないという事実を見過ごしてしまうのだ.(1986, p.68)

プラットがこのように述べるときに意図しているのは言語行為理論の批判ではあるものの,むしろ言語行為理論によって微細なかたちの抑圧を明るみに出せるかもしれないことがここからうかがえる.セクション 2.2 で見たように,一方が賭けのつもりで発言しても,受け入れられなければ不発に終わることもある.そうした場合,話者は賭けをしようと試みつつも,聞き手側の了解 (uptake) が欠如しているために失敗している.これと同じく,誰かを破門したり任命したりするだけのしあkるべき社会的地位にないこともありうる.その結果として,そうした発語内行為を遂行しようとの試みは不発に終わる.もっと重大な事例を挙げるなら,言語行為に関わる制度を一定のパターンで悪用することで,言語行為を遂行する能力が失われることもありうる:いつも嘘ばかりついている人物は,なにか約束をしようとしてもやがて地域社会の人々に受け入れてもらえなくなるだろう.発語行為こそいくらでも遂行できるものの,少なくともその社会ではこの人は約束の発語内行為を遂行できなくなってしまう.この人の発話は,発語行為としては正常であっても,発語内行為としては無力なのだ.

悪質な行動を繰り返すことでその話者本人がしかじかの言語行為タイプについて無力になることがある.では,地域社会の他の人々が悪質な行動を――意図的にであれ無自覚にであれ――繰り返すことによって,あるタイプの言語行為を誰かが遂行できなくなることはありうるだろうか? 誰かがやろうとする賭けや警告や約束をけっして受け入れないように決めた話者が十分にたくさんいれば,これは起こりうる.こうした仮想の事例にとどまらず,さまざまなパターンの社会的不平等によって特定の集団が言語行為の遂行をできなくなっているという議論がある.ポルノグラフィーは女性を黙らせるというマッキノン (McKinnon 1993) の主張を洗練させて,ラングトンはこう論じている――ポルノグラフィー産業とポルノグラフィー消費は,性的な誘いかけを女性が拒否しようと試みれなくしている (Langton 1993).拒否もまた言語行為ではあるものの,十分に多くの男性が(たとえば「口では『いや』って言ってもホントは『いいよ』って意味なんだろ」と考えたりして)女性の拒否を了解しなくなれば,性的な誘いかけを拒否する女性側の試みは拒否の言語行為に関して独特のかたちで無力になるのだとこうした著者たちは主張している.それでも女性は性的な誘いかけを拒否しようと試みることはできるし,物理的な手段で誘いかけを防ごうと試みることもできるとはいえ,身を守るのに決定的に重要な発語内行為はもはや使えなくなる.アパルトヘイトやジム・クロウをはじめ,さらにさまざまなパターンの差別も,差別する側は意識的にそうと自覚しないまま,人種的・宗教的・民族的な少数派集団から,相手側の了解を必要とするタイプの言語行為を遂行できなくできる.こうした現象は一般的に発語内的沈黙化 (illocutionary silencing) と呼ばれている.

だが,拒否の言語行為には相手側の了解が必要だという主張をバードは否定している.彼の議論によれば,そうした発語内行為は招待や降伏と同様で,招待や降伏では,聞き手として意図されている側がそうやって差し出された発語ない行為を把握したり受け入れたりするかどうかによらず生じうるのだという.同様に,「発語内的沈黙化」の議論を言語行為の観点でとらえるべきだという主張を否定して,マイトラはこう論じている──ポルノグラフィーの制度によって,拒否の話者意味が理解されなくなっている (Maitra 2009).たとえば,自分が拒否していることを話者意味することはできるものの,さまざまなパターンで認知的・情動的な反応が繰り返されることで,体系的に,拒否が理解されなくなる.不公正と発語内減少の相互作用についてさらに検討範囲を広げて,言語行為のなかにはたんに抑圧を生じさせるだけでなく抑圧を構成するものもあるとマクゴウワンは論じている (McGowan 2009).Anderson, Haslanger & Langton (2012) や McConnell-Ginet (2012) は,人種や性別などにもとづく抑圧を言語行為に関連するものとして検討した研究の概観を提供している.近年の学術研究では,言語行為理論によって統語論や意味論のレンズだけでは検知しがたい権力構造を明るみに出せるのではないかとの見通しが提示されている.

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