2016年10月30日日曜日

ミラー先生の『消費』のサンプル訳をつくってみよう (6)

つづき:
「間違った保守モデル」(消費主義は自然なものと考える)と,「間違った急進主義モデル」(消費主義は文化的抑圧と考える),この両方への代替案として,本書ではもうちょっと込み入っているけれどきっともっと正確なはずの案を提案する.これを,「分別のあるモデル」(Sensible Model) と呼ぶ.というのも,人間と社会についてこれまで科学で発見されていることを踏まえてかなり思慮分別のあるモデルになってると思うからだ.このモデルでは,こう考える: 
無意識のうちに特定ののぞましい個人的資質を見せびらかそうと試みる人間の直観
+ 特定の種類の資格証明や職業や持ち物やサービスをとおしてそうした心的資質をみせびらかす現行の社会規範
+ 現行の技術でできることと制約
+ 特定の社会制度とイデオロギー
+ 歴史的な偶然と文化的な慣行
= 21世紀序盤の消費資本主義 
(これでもものすごく単純化しすぎているけれど) さっきの2つより複雑なこのモデルは,たんに消費主義を「脱自然化」するだけではない.社会規範や制度やイデオロギーや文化や技術を変えることで社会のどのへんをどう変えられるかをつきとめてもくれる.本書の終盤 1/3 では,この「分別あるモデル」にもとづいて,消費資本主義を設計しなおす方法をいくつか提案する. 
設計しなおすといっても,クロマニヨン人の生活条件を復活させようという話ではない.そんなことは,現代人にとって可能でもないしのぞましくもない.いま地球上には 67億人が生きている.みんなで狩猟採集生活にもどることなんてできない.単純でおだやかな小集団の生活という理想化された楽園にもどるという考えを提唱した人たちは多岐にわたる:仏陀,老子,エピクロス,ソロー,エンゲルス,ガンジー,マーガレット・ミード,ユナボマーなどなど.こういう理想家が支持者を集めることも多い.そうした支持者たちは教団をつくったり,政治運動を立ち上げたり,文化まるごとをつくったりもする:道教,シェーカー派,ラッダイト運動,マルクス主義者,アナーキスト,ヒッピー,エモキッズなどなど.主流の「ブルジョア・ボヘミアン」だって,「持続可能ななんとか」や「断捨離」や「みずから選ぶライフスタイル」や有機農業や企業の社会的責任を支持するし,居住地の区画規制がゆるす範囲でなら,ゲートで隔離されたじぶんたちのコミュニティに環境に優しくて共同体っぽさのある素朴で原始的なくらしの要素をいくらかもちこんだりもする. 
しかし,こうした人々やグループは,それぞれに原始的生活の長所と現代生活の短所を誇張してしまっている.クロマニヨン人の生活スタイルが人間の体や心,家族や部族にとってもっと自然な環境だったという彼らの直観は正しい.だが,同時に,ロマンティックな理想化をはぎとってみると,クロマニヨン人の生活は無知で偏狭で暴力的で,想像d系内ほど退屈だったという点を忘れてしまっている.文明がもたらした重要な発明ぬきの生活なんて,ぼくはごめんだ.貿易,通貨,識字,医薬品,本,自転車,映画,ダクトテープ,貨物コンテナ,コンピュータ――こうしたもののない生活をおくりたいなんて思わない.現代に不満だと言う多くの人たちとちがって,文明の発明の「オールタイムベスト」を3つ選ぶなら,ぼくはお金と市場とメディアを挙げる.どれをとっても,平和な人間どうしの協力がもたらす社会的・物質的な便益を猛烈に増大させた.ただし,これら3つがそろったからといって,必ずしも現行の消費資本主義ができあがるとはかぎらない. 
さいわい,ぼくらはこんな二択を強いられてはいない―― (1) よくわからないどこかのユートピアでは機能するかもしれない環境にやさしい共同体の素朴原始生活主義か,さもなくば (2) これまでのところ一部の人間社会に〔ガン細胞のように〕転移している消費資本主義か,このどちらか一方をえらばなきゃいけないってわけではない.「分別のあるモデル」では,他にたくさん選択肢があると提案する.そうした選択肢のなかには,先史時代の生活と現代生活の裁量の発明を組み合わせるものだってあるとぼくは考えてる.

2016年10月29日土曜日

ミラー先生の『消費』のサンプル訳をつくってみよう (5)

つづき:
我らがご先祖さまたちの目をとおしていまの生活を眺めてみると,この「文明」と呼ばれるもの(今日では消費資本主義に同義)を発展させることでぼくらが失ったものと得たものをはっきりと見渡せる.また,ぼくらの生活で本当に自然なものと,歴史の偶然でそうなっているもの, 文化でたまたまそうなっているもの,政治的に抑圧されているものをもっとうまく区別できるようにもなる. 
どの文化で人類が営んでいるものであろうと,消費資本主義はヒトの進化が技術的洗練のどこかの段階で避けがたく自然に迎える結果ではない. 
消費主義を進化心理学で分析するのは,なにも,消費主義に科学の認証シールを貼ろうという話ではないし,生物文化の進歩が到達しうる最高水準として消費主義を道徳的に正当化しようというのでもない.これまでに,そうやって消費主義を「自然化」しようと試みた思想家はたくさんいた.たとえば社会ダーウィニズム主義者の大半はそうだったし,オーストリア学派の経済学者(ルードヴィヒ・フォン・ミーゼス,フリードリヒ・ハイエク,マレー・ロスバード),シカゴ学派の経済学者(ジョージ・スティグラー,ミルトン・フリードマン,経営のグルやマーケターたち)もそうだ.彼らのモデルはこんな具合は(ぼくはこれを「間違った保守モデル」(Wrong Conservative Model) と呼ぶ.というのも,ぼくの考えではこのモデルは間違いだし,政治的な保守によって唱道されているからだ): 
人間本性 + 自由市場 = 消費資本主義 
こんな風に消費主義を「自然化」する試みに反対して,他の人たちはそもそも「人間本性」の概念だとか生物学と経済学のつながりをなにもかも却下してきた.こうした生物学懐疑論者にはどんな人たちがいるかっていうと,たとえば,マルクス主義者,アナーキスト,ヒッピー,ユートピア主義者,ニューエイジ系の感傷主義者,文化人類学者,社会学者,ポストモダニスト,反グローバル化運動家の大半がいる.さしあたりは,こう言っておいてさしつかえない――こうした急進主義者たちは,「間違った急進主義モデル」(Wrong Radical Model) を提案している.このモデルによれば,基本的にこういう話になる: 
空白の石版[ブランクスレート] + 抑圧的な制度 + しゃらくさい各種イデオロギー = 消費資本主義
ここでいう「空白の石版[ブランクスレート]とは,ヒトの赤ちゃんがもつ大きな脳のことで,進化による本能や好みや適応などはなにも備えていないにも関わらずなんでも学習できるとされる.(スティーブン・ピンカーは著書の『空白の石版』(The Blank Stale) で,脳がそういうことをできる可能性を痛烈に批判した.) また,「抑圧的な制度」は,通例,政府や企業や学校やメディアとされる.こういう制度がなんらかの支配階級の利害をかならず代表しているのだとこのモデルは考える.「しゃらくさい各種イデオロギー」は,たとえば宗教,父権制,体制順応主義,エリート主義,自民族中心主義,主流派経済学などが該当すると想定されている.また,「間違った急進主義モデル」では,ダーウィン主義はヴィクトリア朝時代の資本主義( 植民地主義や性差別や人種差別も含めて)正当化するものとして考案されたと想定している──そして,ダーウィン主義が問題の一部であるとすれば,解決策の一部になるはずもない,と考えられている.

* Blank Slate の邦訳タイトルは『人間の本性を考える』だけど,ここでは原書タイトルそのままの訳をあてておく.

2016年10月27日木曜日

ミラー先生の『消費』のサンプル訳をつくってみよう (4)

つづき.
これを聞いて,聴衆たちはちょっぴり身を乗り出してくる.ジゼルの母親のジュリエットが質問をぶつけてくる――「そんで,引き替えになにがほしいんだい? そのナイフだのシューズだのを手に入れるのに,こっちはなにを渡さなきゃならないっての?」 キミはこう説明する.「やらなきゃいけないのは,教室で机について直感に反するスキルを学ぶのを毎日ずっと16年間つづけること,ただそれだけですね.あとは,道徳にもとる企業の職場に通ってきつい仕事を週に50時間,これが40年つづきます.その間はまともに子供の世話もできませんし,コミュニティに属してるって感覚もないし,政治的なはたらきもしないし,自然とのふれあいもありません.ああ,そうそう.子供を2人以上にふやすのを防ぐ薬や,自殺願望をおこさないようにする特殊な薬もとらなきゃいけなくなります.じつはそんなにひどいもんじゃないですよ.シューズの意匠,めちゃイイケてますよね.」 仲間の尊敬を集める女家長であるジュリエットは,こちらの目をまっすぐに見据えて,心底から哀れみを込めて,問いかける――「あんた,どうかしてるんじゃない?」  
【対比と選択】
Contrast and Choices  
以上,ちょっとした思考実験をやってみた.オーリニャック期いらいずっと人類のたゆみない進歩と幸福のますますの増大が一方通行で続いてきたというみなさんの信条がゆらいでいればさいわいだ.なるほど現代の生活は,地球にくらす人々の上位 0.1 パーセントに入るものすごいお金持ちにとっては,驚くほどにしあわせ絶頂のゴキゲンなものだったりするかもしれない.でも,もっと公平に評価するなら,比べるべきは先史時代の平均的な人間の暮らしぶりと平均的な現代人の暮らしぶりだろう.

3000年前の平均的なクロマニヨン人を考えてみよう.彼女は30歳の健康的な3児の母で,つながりの密な部族で家族や友人といっしょに暮らしている.はたらくのは1週間に20時間ほどで,オーガニックな果物や野菜を採集したり,放し飼い家畜の肉をくれる男どもといちゃついたりするのが仕事だ.一日の大半は,友人たちといろんな噂話に花を咲かせたり,いちばん末の子供に乳を飲ませたり,子供がいとこたちと遊ぶのを眺めたりしてすぎていく.たいてい,日が暮れると,物語を聞かせあったり身繕いをしあったり,踊ったり,ドラムをたたいたり,歌ったりする.その場にいるのは,よく知っている好ましい信頼できる人ばかりだ.カレシも平均的な人でしかないけれど,しょっちゅう最高のセックスをする.なにしろ,男どもはすばらしい新式の前戯を進化させているのだ――会話,ユーモア,創造性,やさしさという前戯が彼女を最高に気持ちよくしてくれる.(だいたい月に1回,ヒミツの恋人サージと密会する.彼はネアンデルタール人を11人殺した公式記録の持ち主だけど,彼女の肌に触れるときには,まるでアルプスの花々にふりそそぐおだやかな雨のようだ.) 毎朝,彼女は日の光につつまれておだやかな目覚めを迎える.日の出が照らすのは,フランス・リヴィエラ地方沿岸部の青々と草木が茂る6000エーカーの大地だ.その土地すべてを,彼女の部族が所有している.太陽をあびるさわやかな目覚めで,彼女はみずみずしくなる.乳幼児期がすぎると死亡率はとても低いおかげで,この先40年の寿命を期待できる.その間に,彼女は知恵と地位のある女性としてますます価値を高めていく. 

さて,一方,21世紀に生きる平均的なアメリカ人勤労者を考えてみよう.彼女は30歳の独身レジ係だ.フォード社のフォーカスに乗り,ロチェスターで暮らしている.平均的な知能(IQ100)の持ち主で,地元のコミュニティカレッジを中退するまでにほんのいくつかのクラスで C をとった程度だ.いまは小売店でこの仕事についている.イーストビュー・モールにある宝石・貴金属の店ピアシング・パゴダで週に40時間はたらいている.両親やきょうだいは,彼女の家から50マイルも離れたところにある.女性としての魅力やおもしろさも平均的なので,友人はすこしいるけれど,長く続いているカレシはいない.知らない相手とほろ酔い加減でセックスする機会があったら,妊娠を避けるために避妊薬のオーソトリサイクレンを服用しないといけない.そして,セックス相手はめったに電話に返事をよこさない.感情の安定具合もごく平均的だ.ロチェスターの冬は来る日も来る日もずっと薄暗いままなので,自殺願望を抑えるためにプロザックを飲む.毎晩,ひとりぼっちでテレビをながめる.夜な夜な,ジョニー・デップに愛される妄想にふけったり,グウェン・ステファニーと友達になるのを想像したりする.毎朝,彼女は目覚まし時計にたたき起こされて目を覚ます.時計の横にあるプラントは中国製の樹脂でできた模造品だ.起き上がって見渡す住まいは,600平方フィートのアパート.心がすり減っていく思いがする.現代医療のおかげで,彼女はこの先45年の寿命が期待できる.その間に,彼女はしだいに役立たずの年金負担としてますます価値を下げていく.少なくとも,iPod はもってるけど.

最後の箇所,「iPod」がでてくるところにもはや時代を感じてしまう.

2016年10月20日木曜日

ミラー先生の『消費』のサンプル訳をつくってみよう (3)

つづき.
そこへ,ジェラールの配偶者で頭の回転が速いジゼルが割り込んできて,いくつか質問をはじめる.答えてるうちに,ますます向こうはゲンナリしだす: 
ジゼル:未来人さん,顔がよくて地位が高くて魅力的であたしのことを無視したりぶったり棄てたりしない恋人ってお金で買える?  
キミ:買えませんねえ.ああ,でもジゼルさん,そういう恋人とのめくるめく恋のつくり話だったら,恋愛小説を買って読めますよ. 
ジゼル:お金で買って,もっと姉妹を増やせない? あたしがグースベリーを採集しに行ってるあいだに,末の子供たちの面倒もまとめてみてくれるような姉とか妹とかさ.
キミ:ダメですね.雇われ子守りをやってるはたいてい稼ぎが少なくて生活に困っていて教育の足りない女の子でね.よその子供の世話なんてそっちのけで,友達とメッセージを送り合うのに夢中になるような子ばっかりですよ. 
ジゼル:うちの十代の子らはどう? ジャスティンとフィリップっていうんだけど.金で買ってあの2人にあたしを敬わせたり言うことを聞かせたり,わるい女にひっかからないように女の好みを変えたりできない?  
キミ:いえ,あなたが世間を立ち回る知恵を教えようとしても,子供たちはマーケッター連中に洗脳されて無視するでしょうし,ホリスターブランドの服を着てマウンテンデュー AMP エナジーブーストを飲み始めるでしょうね. 
ジゼル:ダボが! クソを食らって西へ飛べっての! その金とかいうの,役立たずのクズじゃない.せめて,ぜったい腐らないマンモスの死肉くらいは買えないの?  
ようやく,とっかかりが見えてきた.そこで,氷点下で食べ物を保存できる冷凍庫の解説に乗り出す――かと思ったところで我に返る.59基の原子炉を有するフランス電力なんてどこにもない時代に,冷凍庫の電気をとれるはずがない.するとにわかに口調はごにょごにょしだす. 
もういいかげんに,ジゼルもジェラールも,こっちを見る目がすっかり醒めきってる.この2人以外の人たちは,話こそ聞いていても疑い深げだ.なかには,レーザーポインタで火をおこしてこっちを炙ってやろうと隙を見てるやつらまでいる.キミは,どうにか彼らの関心を引き戻そうと,上昇意識の高いモバイル系クロマニヨン人に消費主義が提供してくれるキャンプ用品を解説しはじめる:これはサングラス,こっちはスティールナイフ,それからバックパック,そうそう,このトレイルランニング用のシューズなんて数ヶ月はもちますよ.横にあるこの「ギュン」って意匠もかっこいいし.


2016年10月18日火曜日

ミラー先生の『消費』のサンプル訳をつくってみよう (2)

前回からのつづき:

消費資本主義を理解するには,まず,こんなことを考えてみると助けになりそうだ――「先史時代のご先祖たちは,今日のぼくらの暮らしをみてどう考えるだろう?」 ご先祖たちは,ぼくらのことをどう思うだろう? 彼らの気楽な氏族の生活にくらべて,ぼくらが地位の追求や製品あさりに血道を上げているさまにきっとあっけにとられるだろう.ご先祖たちの目には,現代社会は騒々しくてややこしく思えるだろうし,ひょっとするとどうかしてるように思えるかもしれない.どれくらいどうかしてるか省みるために,ちょっとばかり風変わりな思考実験をやってみよう――時間旅行とレーザーの思考実験だ.
【クロマニヨン人から消費者へ】 
もし引き受けてもらえるなら,これが諸君らの任務だ:タイムマシンで3000年ほど昔に飛んでもらう.先史時代のフランスでかしこいクロマニヨン人を探してほしい.(相手の言語はどうにかしてしゃべれるものと仮定する.) クロマニヨン人に,現代の消費資本主義のシステムを説明する.相手がどう思うか,聞き出してほしい.現代では繁栄も余暇も知識もとどまることなく増大していく展望があると知って,クロマニヨン人たちは「だったら自分たちもひとつ農業とやらをやってみよう」という気を起こすだろうか? 鶏やブタを飼い慣らして育てたり,外壁に囲まれた街をつくったり,お金を使い始めたり,階級をつくったり,派手な消費をひとつやってみようかと彼らは思うだろうか? それとも,それまでどおり,火打ち石と洞窟壁画のオーリニャック期旧石器時代の文化水準に停滞したままでいる方がいいと思うだろうか?  
この任務を引き受けて,タイムマシンで大昔に行ったとしよう.しばらく探し回って,とある晩にクロマニヨン人を見つけて,レーザーポインタを見せてひとしきり面白がってもらったりなんかして関心を引く.1時間ほどたって落ち着いたら,いよいよ本題に入って,説明を切り出す――「ぼくらの文化はとてつもなく豊かで,いろんな品物やサービスを見せつけ合っては自分の人となりをありとあらゆる方法で何百万人もの他人に誇示しているんですよ」 自分がいかに大した人物なのかを誇示するものを手に入れるために,そうした品々やサービスを「お金」で「買う」ということ,そして,そのお金は「技能労働」で稼ぐことを説明する.そして,彼らに請け合ってやる――「いまの火打ち石で火をおこす暮らしをほんの数千年ばかり続けていけば,やがて,洗練された文化的発明をあれこれと楽しむようになるんですよ.」 たとえば,結腸洗浄だとか YouTube だとか.
うまく説明がすんだら,彼らの反応をはかる段階だ.キミは,相手が訊ねてくるいろんな質問に答える.「ほうほう,なるほどなるほど」と熱心に話を聞いていたジェラールという有力な大人の男は,どうやら合点がいったらしい.ただ,ジェラールにはいくつか引っかかる点がある――現代人の耳にはどうしようもないほど性差別的に聞こえる質問だけど,心底から好奇心を抱いて発したことなので,科学的客観性の精神にのっとり,彼らの質問に正直に答えてあげなきゃいけない,とキミは思う.ジェラールは,こんな風に訊ねる: 
ジェラール:未来人さんよ,それじゃあ,その金ってやつでよ,俺のガキを孕んで育てる気になってくれる賢くて若い女を20人ほど買えるのかい. 
キミ:いや,ジェラール.奴隷制度は廃止されているから,生殖のための配偶者をお金で買うというかたちでは繁殖の成功は提供できないんだ.売春婦はいるけれど,たいてい避妊するよ. 
ジェラール:へえ.じゃあ,女どもの気を引いて,俺とつがって子供をつくりたいって気にさせにゃならんわけか.かしこさや威厳だとか,話やジョークをうまくしゃべる能力だとか,身長や男らしさは金で買えねえの?  
キミ:買えないな.でも,啓発本を買ってちょっとばかりプラセボ効果にひたるくらいならできるし,ステロイドを買えば筋肉量と怒りっぽさを3割増しにできるよ. 
ジェラール:なるほど.じゃあ,女をとりあうライバル連中が死んでくれるのを辛抱して待つか.100歳まで生きる寿命は買えるかい?  
キミ:それも買えない.でも,現代の医療はすごいから,期待寿命を70年から78年に伸ばせるよ. 
ジェラール:あれもだめ,これもだめか.むかつくな.ライバルどもをぶっころす最新の武器は買えるのか? とくに,あのクソやろうのサージを殺すのにちょうどいいやつだ.あと,ヨソの氏族の男どもも皆殺しにして,連中の女をかっさらってやりてえ. 
キミ:買えるよ.その用途なら,AA-12ショットガンが効果的だろうね.対人用の高性能散弾を1秒に5発撃てる.おっと――ただね,たぶんそのライバル連中も他の氏族の連中も同じショットガンを買うと思うな.

ジェラール:なんだ,じゃあ,ただ氏族抗争がもう一段キツくなるだけか.それに,そんなブツがあったら,氏族の血の気の多い若え連中がもっと殺し合いをやりだしそうだ.だったら,いまのツレで満足しとくか.ジゼルってんだ――あいつの永遠の献身を金で買えるか? なんどもイカせてやって,ぜったい俺を裏切らないようにさせられねえかな. 
キミ:いや,実はね,資本主義でも夫婦どうしの裏切りは相変わらず続いてるんだ.本当の父親がわからないって話はいまでもよくあるよ. 
ジェラール:ジゼルのかあちゃんや姉妹連中はどうなんだ――金で買ってあいつらの心根をもっとやさしくして,俺の欠点にあんまりガミガミ言わないようにさせられねえの?  
キミ:ざんねんながら,ムリだね.

とりあえずこんなところで,また次回.

2016年10月17日月曜日

ミラー先生の『消費』のサンプル訳をつくってみよう (1)

ジェフリー・ミラーの『消費:性・進化・消費者行動』[Amazon] のイントロ部分だけを訳してみようと思う.


第1章 ダーウィン,モールにゆくの巻

消費者資本主義:これが現実だ,そうじゃないフリなんてしちゃいけない. 
でも,これっていったいなんなんだろう? 消費者主義はどうにも言い表しがたい.ぼくらは消費者主義という大海の中のプランクトンだからだ. 
深遠不可解なものに行き当たったら,新鮮な問いを立てるところからはじめればいい.ひとつ挙げよう:「どうして世界で最高に知的な霊長類が,よりによってハマーH1アルファスポーツ車なんぞを 139,771ドルも出して買うんだろう?」 ハマーは,移動や輸送の手段として実用的じゃない.4人しか乗れないし,逆方向に向きを変えようとすれば51フィートも必要になるし,10マイル走るのに1ガロンもガソリンを食うし,時速0マイルから60マイルに加速するまで 13.5秒かかるし,信頼性もひどい――と『消費者レポート』は書いている.なのに,世間にはハマーを買う必要を感じる人たちがいる.ハマーの広告が語るとおり,「必要なんて,ひどく主観的な言葉だ」. 
常識では,所有したり使ったりする楽しみのためにモノを買うと言われてる.でも,研究によれば,モノを手に入れるよろこびはよくても短期間しか続かない.じゃあ,なんでぼくらは消費のトレッドミルから抜け出さず,「はたらく,買う,欲を出す」のわっかを走り続けているんだろう? 
生物学は,こんな答案を出している.ヒトが進化した社会集団では,人物像や地位がとかく重要だった.たんに生存のためだけじゃなく,配偶者を惹きつけたり,友人たちに一目置かれたり,子供を育てたりするのに重要だった.現代のぼくらも,いろんな財やサービスで我が身を飾り立てているのはモノを所有する楽しみのためよりも,他人に一目置かれるためである場合の方が多い――だからこそ,消費について語るのに「物質主義」という言葉を使っているとひどく見当違いなことになってしまう.ぼくらの広大な社会的霊長類の脳は,とある中核的な社会的目標を追求するよう進化した:他人によく見られるというのが,その目標だ.お金を基盤にした経済でイケてる製品を買うのは,この目標を達成する最新式の方法にすぎない. 
これまで多くの明敏な思想家たちが現代の消費主義を理解するのに歴史の文脈にこれをおいて考察してきた.そうした人たちが問うたのは,たとえばこういう問いだ:「古代ローマでは紫で縁取られたトーガで地位を誇示していたのが,現代マンハッタンではフランクミュラーの腕時計で地位を誇示するようになったのは,どういう次第だろうか?」「1908年には黒いモデルTフォードだったのが2006年には「フレーム・レッド・パール」ハマーになるまで,なにがあったんだろう?」「贅沢品としてツナ缶(1ポンドあたり4ドル)を食べていた時代から,いったいなにがどうなってマジカル・プランクトン(Ascendedhealth.com で「海洋植物プランクトン,高振動クリスタルスカラーエネルギーによる癒やしの周波数をもつ究極の栄養食」と称して50グラムあたり168ドル,つまり1ポンドあたりなら1525ドルで販売されている)を食べるようになったんだろう?」  
本書は,こうした歴史分析と異なるやり方をとる.本書では,消費主義を進化の文脈において考察する.そのため,もっと長い期間をとって変化を見る.400万年前には脳の小さい準社会的な霊長類だったのが,大きな脳をそなえた超社会的なヒトという今日の我々にまで,どうやってたどりついたのだろう? また,それと同時に,本書では種どうしのちがいを考察する.どうしてプランクトンなどという地球上のバイオマスでこのうえなくありふれたしろものに大枚を払ったりするのだろう? シロナガスクジラなら,プランクトンなんて一日に4トンも食べる.もしも 「究極の栄養食」とやらのために Ascendedhealth.com から購入したら1220万ドルもかかってしまう.

続きは後日.

抜粋: レイチェル・カーソンの統計的ミス


(from: Ronald Bailey "Silent Spring at 40," Reason Magazine, June 12, 2002.)

Carson was also an effective popularizer of the idea that children were especially vulnerable to the carcinogenic effects of synthetic chemicals. "The situation with respect to children is even more deeply disturbing," she wrote. "A quarter century ago, cancer in children was considered a medical rarity. Today, more American school children die of cancer than from any other disease [her emphasis]." In support of this claim, Carson reported that "twelve per cent of all deaths in children between the ages of one and fourteen are caused by cancer."
合成化学物質の発ガン性効果にとりわけ子供が弱いという考えを世間に広めるのにも,カーソンは腕前を発揮した.「子供に関する状況はいっそう悩ましい」と彼女は書いている.「四半世紀前,子供がガンにかかることは医療上まれなことだと考えられていた.今日,アメリカの学童のうち,ほかのどんな病気よりも癌で死亡する子供の方が多いのだ」(強調はカーソンによるもの).この主張の論拠として,カーソンはこう報告している――「1歳から14歳までの子供の全死亡数のうち,12パーセントがガンによって引き起こされている」 
Although it sounds alarming, Carson's statistic is essentially meaningless unless it's given some context, which she failed to supply. It turns out that the percentage of children dying of cancer was rising because other causes of death, such as infectious diseases, were drastically declining.
なるほどゆゆしき話に聞こえる.だが,カーソンの出した統計は,文脈をふまえないかぎり本質的に意味がない.その文脈を,彼女は補ってくれなかった.じつは,ガンで亡くなる子供の割合が増加していたのは,感染症などほかの死因が劇的に減少していたからだ. 
In fact, cancer rates in children have not increased, as they would have if Carson had been right that children were especially susceptible to the alleged health effects of modern chemicals. Just one rough comparison illustrates this point: In 1938 cancer killed 939 children under 14 years old out of a U.S. population of 130 million. In 1998, according to the National Cancer Institute, about 1,700 children died of cancer, out of a population of more than 280 million. In 1999 the NCI noted that "over the past 20 years, there has been relatively little change in the incidence of children diagnosed with all forms of cancer; from 13 cases per 100,000 children in 1974 to 13.2 per 100,000 children in 1995."
それどころか,子供がガンにかかる割合はこれまで増加していない.現代の化学物質がおよぼすとされる効果に子供がとくに影響を受けやすいというカーソンの主張が正しいなら,この割合は増加していたはずだ.この論点は,おおざっぱにこんな比較をしてみると具体的にわかりやすい:1938年にアメリカの人口1億3000万人のうち癌で亡くなった14歳以下の子供は939名だった.一方,国立ガン研究所によれば, 1998年に2億8000万人をこす人口のうち,ガンで死亡した子供は1,700名だった.1999年に,国立ガン研究所はこう記している――「過去20年にわたって,種類を問わずガンと診断された子供の症例は比較的にわずかしか変化していない.1974年には子供10万人あたり13件だったのが,1995年には10万人あたり 13.2件となっている.」

授業の小ネタに使うつもり.